み教え

福嶋儀兵衛師の伝え(金光教教典より)
佐藤範雄師の伝え
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内伝(金光教教典より)
金光教教典抄「天地は語る」から

佐藤範雄師の伝え
佐藤範雄師
金光教教典理解2類より
私が、まだ大工仕事のかたわら人を拝んであげていた明治十一年のことであった。後月郡高屋村の鳥井治右衛門という人が四十代で腸満にかかり、どうしても助からないと言って、私の所へ頼みに来た。私は一意専心祈念をしたが、なかなかの大病で容易に助からない。(2)吉川喜七郎という人が、「あの病人は不治の病気であって、祈念してもだめだからやめよ」と言ってくれたが、私は祈念して助けたいと思い、やめようとしなかった。病人は良くなったかと思うと悪くなるというぐあいで、どうしても全快しない。(3)そこで、家に来て祈念をして欲しいと頼みに来たが、これは、金光様が、
「病者の所へ行って祈念することを、けっして、してはならない」
とお戒めになっているので、私は行ってやれない。それでも、たびたび頼みに来るので、ついに行って祈念したが、おかげにならなかった。世の下馬評が騒がしくなり、「あれは狸であるから、いくら頼んでも拝んでも助かるものか」と悪口を言うようになった。
(4)私は、この病人を助けなかったら道を汚すことになると思い、この辰の年の男(佐藤範雄)が助けなければならないと、最後の決心をした。そこで、入田の瀬戸廉蔵先生と金照明神(高橋富枝)とにも願い、金光様のもとへ参ってお願いしてもらい、私も「鳥井治右衛門という者が大病で願いに来ていますが、どうしても助かりません。この病人を助けてもらわないと世評も悪くなり、神様のみ名を汚すことになります。辰の年の命を、鳥井の命が助かると同時にお召し上げくださってもよろしいから、お助けください」とお願いした。(5)瀬戸先生も口ぞえしてくださったところ、
「辰の年、その方は人の命を請け合うと言う。此方は十何年も道を伝えてきているが、まだ人の命を請け合ったことはない」
とお戒めくださったので、「以後は請け合いはいたしません」と申しあげた。(6)その時、
「辰の年、その病人は一人である。氏子は何千人何万人あるか知れない。一人のために、何千何万の人を助ける体を失うことができるであろうか。病人が死ぬとすれば、一人である。(7)医者にはいろいろの言い抜けがあるが、神様の方には、絶体絶命、天命限りということがある。天命限りなら、いかに頼んでもしかたはあるまい。命の受け合いをせずにお願いせよ」
とお戒めをいただいた。
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金光教教典理解2類より
明治十二年のコレラ大流行の年のことであった。この近傍の人が金光様のみもとに参って、「金光様、大阪や岡山辺からは、みな、おかげをいただいたと言って、たくさん参拝して来ますが、少しは、この辺の者をも助けておやりなさってはいかがですか」と、暗に金光様をそしった。(2)その時、
「私は、もとが肥かたぎで、この辺の人とは一緒に汗を絞ったこともあります。それを遠方の人は知らずに、みな、生神様と言って慕って来ます。(3)私の力にかなうことなら、言われるまでもなく、みな助けてあげたいのはやまやまであるが、おかげをいただく信心は向こうの心にあるのだから」
と実に穏やかなお言葉で答えられた。
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金光教教典理解2類より
私は若い時、学問が好きであった。金光様のお広前に参って書物をお供えすると、金光様はご神前にそれを供えてご祈念くださり、
「此方は神徳は受けても学徳がない。その方は神徳と学徳とを得てくれ」
と仰せられた。
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金光教教典理解2類より
明治九年ごろは黒住教が盛んで、大谷の近傍などではなかなか勢いがあった。そのころ私は信心を始めて間もないことで、黒住教のことなどについて、金光様のみ前で他の人々と共にあれこれと議論ばかりしていた。(2)明治十四年ごろから平田篤胤の書を好んで読むようになった。「医者、医道を知らず、神道者、神道を知らず。われ、その真を講ぜん」という書き出しで、仏教のあらを拾って書いてある書物であった。それを読んだものだから、金光様のみ前でキリスト教や仏教の欠点を探し出して、あれこれと申したこともあった。参拝者の中には、金光様のみ前で宗教以外のこと、たとえば他人の家のことで、あの所の嫁はどう、この所のだれはこうなどと、陰口を言う者もいた。(3)ある時、金光様は、
「氏子らの中には、此方の前に来て、人のことをそしるばかりする者がある。やれ、黒住はどう、仏道がこうなどと、そしったりする。(4)自分の産んだ子供の中で、一人は僧侶になり、一人は神父になり、神主になり、また、他は役人になり、職人になり、商人になりというように、それぞれいろいろになった時、親は、その子どもの中でだれかがそしられて、うれしいと思うだろうか。(5)此方の前に来たら、他人のことを言うな。他人をそしるのは、神の機感(み心)にかなわないことになる。釈迦もキリストも黒住も、みな神の氏子である」
とご理解してくださった。
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金光教教典理解2類より
「なぜ拝んでいるのかと言ってとがめられた時には、身信心をしていると言っておけ」
と仰せられた。(2)身信心とは、自分一人の身を修めるための信心ということである。
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金光教教典理解2類より
信心は改まりが第一である。此方でも間違えば、いつ神様からお暇が出るかも知れない。
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金光教教典理解2類より
夜が明けたら、生まれ変わった心になれ。
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金光教教典理解2類より
八幡様は鳩、稲荷様は狐、木野山様は狼を使うというが、金光大神は、神の心を直々に氏子に伝える道を開く。
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金光教教典理解2類より
油断すると、後の烏が先になる。
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金光教教典理解2類より
私が金光様に向かって、「尊いお道でございますが、このままでは後へ何も残りません。世間には後で宗派争いなどが起きて、けんかの種となることもあります。何かお定めになりませんと、そのようなことにならないとも限りません」と申しあげたら、(2)金光様が、
「此方は、人が助かりさえすれば、それでよい」
と言われるので、「助からないことになります」と申しあげた。それ以後、金光様もそのことに留意されるようになった。
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金光教教典理解2類より
金光様は常に、
「慢心は神様がお嫌いになる」
と教えられ、(2)また、
「此方といえども心が違えば、いつお暇が出るかも知れない」
と仰せになった。(3)このことについて、
「飯がこぼれたといっても、拾って食べればよいが、神様からお暇が出ると、拾って食べられないようになる。神様からお暇が出るというのは、死ぬということである」
とご理解くださった。
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金光教教典理解2類より
人間は人間らしくすればよい。何も求めて不思議なことをしなくてもよい。
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金光教教典理解2類より
常に、
「金光大神の体や姿に目をつけるな」
と仰せられていたが、(2)ある時、
「死んだら、苞に入れて流しても焼いてもよいが、そうもできないであろうから、神の資格で葬り、ご神灯を先に立てて葬場へ行け。身を葬る時には大勢の人を呼ぶな。御霊を大切にせよ」
と言われた。
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金光教教典理解2類より
ご裁伝があって、ご祈念座から結界に下がられ、
「その方には神様がもうみ教えになることはないと思っていたが、また教えがあったなあ」
とお喜びになった。(2)一とおりの教えが終わって、もう変わったお伝えはないと思われても、変わったご神伝があると、お喜びになった。(3)金光様は、
「此方の話は、学者の話や講義と違って、ここが続き、ここが切れ目ということがない。天地のある間は、天地の話が尽きるということはない。此方は天地の道理を説くのである」
と教えられた。
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