み教え

福嶋儀兵衛師の伝え(金光教教典より)
1/2/3/4/5/ 6/7/8/9/10/ 11/12/13/14/15/ 16/17/18/19/20/ 21/22
佐藤範雄師の伝え(金光教教典より)
内伝(金光教教典より)
金光教教典抄「天地は語る」から

福嶋儀兵衛師の伝え
福嶋儀兵衛師
金光教教典理解2類より
明治二年七月一日、酒井佐吉さんとともにお広前に参った。参ると、金光様は、はやご存じで、
「大阪の氏子、遠方から、ようこそ参って来られた」
と声をかけてくださった。お机のそばに進み、前年来ご縁をいただき、おかげを受けている事情を述べて、お礼を申しあげた。(2)金光様は、さっそくご神前に進まれ、
「卯の年の氏子(福嶋儀兵衛)、大阪からはるばる参りました」
と神様にお届けのご祈念をしてくださった。(3)そして、後ろに振り向き、
「卯の年の氏子、信心して神になれ」
と仰せられ、(4)やがて机にもどられて、
「人は此方のことを生神であると言うが、此方でも、あなた方と同じ生身の人間である。信心しておかげを受けているまでのことである。(5)大阪には天神祭りとかいうにぎやかなお祭りがあるそうだが、その天神様も、あの役の行者も弘法大師もみな、もとはただの人間である。わが心から神にも仏にもなられたのである。(6)あなたも、神様の仰せどおり真一心に神信心しておかげを受け、人を助けて神にならせてもらうがよい」
とご理解くださった。
▲上へ
金光教教典理解2類より
その時また、
「人はみな、金神様を祟り障りをなさる恐ろしい神様のようにばかり言うが、それは間違いである。天地を回り巡って万物を守り、生かしてくださっている神様である。(2)此方は、日天四 月天四 金乃神様と申して拝礼し信心している。人間はみな天地金乃神様から人体を受け、御霊を分けていただき、日々天地の調えてくださる五穀をいただいて命をつないでいる。(3)昔から、天は父なり、地は母なりというであろう。天地金乃神様は人間の親様である。此方の信心をする者は、一生死なぬ父母に巡り合い、おかげを受けていくのである」
と教えてくださった。
▲上へ
金光教教典理解2類より
同じ時、
「天地金乃神様は天地を一目に見とおし、守っておられる。人間は神の氏子、神様のおかげを身いっぱいに受けるように、この身この心を神様に向けて信心せよ。(2)何事も無礼と思わず一心に取りすがっていけば、おかげが受けられる。枯れ木にも花が咲くし、ない命もつないでいただける。(3)わが身におかげを受けて、難儀な人を助けてやるがよい」
と仰せられた。
▲上へ
金光教教典理解2類より
同じ時、
「神様を拝礼するには、此方では別に決まりはない。実意丁寧正直、真一心がかなめである。(2)日々生かしてもらっているお礼を申し、次に、お互い凡夫の身であるから、知らず知らず、ご無礼お粗末お気障りなどをしている道理、それをお断りおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがよい」
と仰せられた。
▲上へ
金光教教典理解2類より
また、
「一時に積んだ石垣は崩れやすい。ぼつぼつ積んだ石垣は、念が入っているだけに崩れはしない。信心する者は何事にも実意丁寧、行き届いた働きをするようになれ」
と教えてくださった。
▲上へ
金光教教典理解2類より
「遠方からさいさい参って来ることはむずかしい。おかげを受けて参って来るのであるから、参った限りは、舟にも車にも積めないほど、十分に神徳を身に受けて帰れ」
と言われた。(2)帰途につくに当たってお書付を五枚お下げになり、
「これを目当てにして信心せよ。金銭でこれを売買してはならない」
とのお言葉を添えてくださった。
▲上へ
金光教教典理解2類より
妻あいは生来体が弱く、お産には難儀をした。はじめて参拝したその時、妊娠していた妻の身の上について、心にかかるままを申しあげると、
「子供は神様からの授かりものである。胎内の子は神の氏子である。神様のおかげで生まれてくるのであるから、此方の道では喜び(出産)にしくじりはさせない」
と仰せられ、(2)さらに、
「腹帯をするにはおよばない。物忌みも毒断ちもいらない。好きな物をいただいて体を作れ。産の汚れは言わなくてもよい。どの方角へ向いて産をしても障りはない。神様が後ろ神と立って、隣知らずの安産をさせてくださる。金乃神様、と一心に取りすがって、おかげを受けよ」
とお諭しくださった。(3)その年の十二月二十三日、み教えどおり、あいは隣知らずの安産のおかげを受けた。
▲上へ
金光教教典理解2類より
明治四年は私の四十一歳前厄に当たるので御本社(オンモヤシロ)に参拝し、心にかかる不安を申しあげたところ、金光様は、
「天地の神様は氏子の親神である。かわいいわが子を、どうして難儀に遭わせなさるであろうか。わが子をもって合点するがよい。常平生、神様に取りすがっていれば、神様と心安くならせてもらっているも同然である。無理も聞いていただける。大難は小難にまつりかえてくださり、小難は無難にお取り払いくださる」
と仰せられた。(2)そこで、どの信心にも行があるが、どのような行をしたら神様のみ心にそわしていただけるかということをお伺い申しあげると、
「世間には、水の行、火の行などがあり、いろいろの物断ちをする人もあるが、此方にはそのような行はしなくてもよい。巡礼のように白い着物を着て所々方々巡り歩く暇に、毎日の家業を信心の行と心得て勤め、おかげを受けるがよい。(3)世のため人のため、わが身の上を思って、家業をありがたく勤めることができれば、それがおかげである。それが神様のみ心にかなうのである」
とみ教えくださった。
▲上へ
金光教教典理解2類より
明治五年は厄年なので、正月に厄晴れの祈念をこめて御本社へ(オンモヤシロ)ヘ参った。その時、
「此方の道では、やくとは世間でいう厄ではなく、役人の役という字を書く。やく年とは役に立つ年ということである。大やくの年とは、一段と大きな役に立つ、大役を勤める年と心得て、喜び勇んで元気な心で信心をせよ。
(2)草木でも節から芽が出て、枝葉を茂らせているであろう。しかし、節は固くて折れやすい。人間も同じこと。信心辛抱していけば、節年を境に年まさり代まさりの繁盛のおかげを受けることができる」
とのご理解をいただいた。
▲上へ
金光教教典理解2類より
長男が疳の病を患い、腹がふくれ、骨皮となって日々苦しみぬき、医者も手の打ちようがなくなった。しかし、半年におよぶ大病も信心のおかげで全快し、大みかげのうちに厄年を送った。(2)明治六年の旧正月に御本社(オンモヤシロ)に参拝し、御礼申しあげると、金光様はご神前でお届けご祈念の後、
「天地金乃神のご神体は天地である。宮社に静まり納まっておられるのではない。真一心の心に神がおられて、おかげになる」
と仰せられた。(3)そして、ひかえの間から串を持って出られ、美濃紙で幣を切り、串にさしてお下げになり、
「これをご神体としてまつるがよい。人が改めに来ても、これがご神体であると言っておけばよい。これは拝む目当てである。取り違えないようにせよ」
とご理解くださった。(4)続いて、
「金光大神あって神は世に出た。金光大神の話していることを、そのまま人に聞かせてやればよい。そなたが、これまでおかげを受けてきていることを話せば、それでよい。何も、そう心を使わなくてもよい。後ろに此方金光大神がひかえている」
とみ教えくださった。
▲上へ
金光教教典理解2類より
翌日、帰路につくに当たり、広前に参ると、金光様は、
「神信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい。神心となって、受けたおかげを人に話して真の道を伝えるのが、神へのお礼である。それが神のお喜びとなる。(2)信心するといっても、これまではみな神様を使うばかりで、神様に使われることを知らない。天地金乃神様は人を使わしめになさる。神様に使われることを楽しみに信心せよ」
と重ねてお諭しくださった。
▲上へ
金光教教典理解2類より
その年、再度御本社(オンモトヤシロ)に参拝した時、金光様は、
「助けてくれと言って来ても、拝んであげましょうとは言うな。そなたがおかげを受けていることを話して聞かすだけにせよ」
と仰せられ、
(2)「何事にも実意を立てぬけ。信心をもとにして辛抱をせよ。そのうちには世の中も広くなっていくであろう。(3)天地の神様は、天地の守り神、氏子の守り役モリヤクである。神の中の神である。何も案ずることはない。天地金乃神様、と一心にすがっていけ。(4)金乃神様、と一心にすがっているからといって、ほかの神仏をおろそかにしてはならない。残らずの金神様とあがめて拝礼するがよい。残らずの金神と申さなくても、みな様と申して拝んでもよい」
と仰せられた。
▲上へ
金光教教典理解2類より
明治七年、御本社(オンモトヤシロ)に参拝した時、金光様がお書付(天地書附)を四枚授けてくださった。その時、
「これは、そろばんの粒のようなものである。二一天作の八と置いたら合わないが、二一天作の五と置けば合うように、この書付どおりを守っていけば、必ずおかげが受けられる」
と教えられ、(2)さらに、
「信心の真のある者で、いただきたいと願い出る者があれば、分けてやるがよい」
と仰せられた。
▲上へ
金光教教典理解2類より
明治九年の春のころ御本社に参拝した時、金光様はお書付四枚をお下げになり、
「大阪から参って来た仁村という人にこれを授けたが、わがことにかまけて人の難儀を思わず、自分だけの信心に固まっておかげを落としてしまった」
と話され、
(2)「氏子がおかげを受けてくれなくては、神様も此方もうれしくはない。氏子がおかげを受けずに難渋しているようでは、神の役目が立たない。氏子が立ち行かなければ、神も金光大神も立ち行かない」
と仰せられた。
▲上へ
金光教教典理解2類より
同じ時、金光様は、
「一年に三尺も四尺も伸びる梅の木に大木はないであろう。一寸ずつ太る楠は大木となる。神信心もそのとおりで、伸びるばかりが能ではない。人より遅れても一寸太りに大木になるのが、ありがたいのである」
と仰せられ、(2)また、
「天地の親神は人の口を借りて教えてくださる。信心している者は、子守りの歌もあだに聞いてはならない」
ともお諭しくださった。
▲上へ
金光教教典理解2類より
明治十年の秋近くなったころ御本社(オンモトヤシロ)へ参拝した時、金光様はご一身のことをあれこれと物語って聞かせてくださった。中でも七墓を築かれたことを伺った時には、感無量の思いがした。
(2)その時、ちょうど参り合わせていた備前の人が、お包みを供えて取次を請うた。金光様はそれに手を触れようとされず、
「これは持って帰れ」
と仰せられ、そのまま神前に進んでご祈念に入られた。(3)ほどなく、顔を赤らめて、
「神に供える物を何と心得ているのか。神は取り捨てにはしない。一粒万倍にして返してやる。惜しいと思って供えてはならない」
と仰せられ、(4)振り向いて、
「卯の年の氏子(福嶋儀兵衛)、そうではないか。神あっての氏子、氏子あっての神であるからな」
と言われた後、お机にもどられて先の話を続けられた。
▲上へ
金光教教典理解2類より
明治十二年卯の年の元旦を金光様のお広前で迎え、金光様にお年賀を申しあげ、お礼申しあげると、お書付(天地書附)を二十体お授けくださり、
「おかげを受ける者がおいおいにできてくるであろう。信ある氏子に分けてあげよ。これは、言うまでもないが、守り札ではない。心の守りである。売り物ではないから、人がどのように言って来ても、銭金で受け渡しをしてはならない」
と仰せられ、
(2)「真の信心をすれば、敵倍の徳が受けられる。人心を出すな。人心は人心だけのこと。神の守りをする者は、何事も神心でしなければならない。神心は神心だけのことがある」
とご理解くださった。
▲上へ
金光教教典理解2類より
講社結成のことが信者たちの間に話題になりだしたのは、明治十二、三年のころであった。そのことについて金光様にお伺い申しあげた時、
「氏子が神として立ててくれなければ神も立たない。神は氏子を痛めては喜ばない。氏子が神のことを喜んですれば神も喜ぶ」
とのお言葉があり、
(2)「何事にも無理をするな。我を出すな。わが計らいを去って神任せにせよ。天地の心になっておかげを受けよ」
とのみ諭しをいただいた。
▲上へ
金光教教典理解2類より
明治十五年正月の十日のお祭り日にかけて、長男の儀助を伴い、正栄組結成のお礼を兼ねて御本社(オンモトヤシロ)に年始の参拝をした。金光様は儀助に対し、
「親子助け合って家業に励み、進んで難儀な氏子を助けるご用ができていることは、まことに結構なことで、神様もたいそうお喜びである。氏子も喜び、此方にも喜びである。このうえとも父の信心を受け継ぎ、みずからも打ちこんで真の信心をせよ。それが神の機感(み心)にもかない、そなたにとっても末々の幸せとなる」
と諭され、(2)儀兵衛には、
「卯の年の氏子は大福神である。末永く神の用に立て」
と仰せられ、ご神前からご神鏡を下げられて、
「これは、そなたのしるしである」
とお授けくださった。ご神教の裏面には「大福神」と刻まれてあった。(3)その時、金光様は、また、
「細くても長く続き、末広がりのおかげを受けるようにせよ。やがて世間の者の考えも広くなり、心安くご用に立てるようになる。日まさり、月まさり、代まさりのおかげが現れる」
とみ教えくださった。
▲上へ
金光教教典理解2類より
近藤藤守師は明治十五年五月十四日違警罪に問われて、南警察署に十日間拘留されたが、その後も難儀な家を訪ね、信者の宅に出向き、神様を拝み、教えを説いていた。
(2)そのことについて近藤師は大阪神道事務分局の田畑説教師と激論の末、立腹して、「もう神を拝まない」と言い張って、広前を退いてしまった。途方に暮れた梅子(藤守の妻)さんが、中野儀太郎に連れられて相談に来たので、梅子さんを伴って御本社(オンモトヤシロ)に参拝して、お取次を願った。(3)金光様は、ご祈念の後、
「お上からさしとめられたのであるから、神を拝むことはできない。けれども、近藤さんには話のおかげを授けてあるから、拝むにはおよばない。人が来たら話をしていればよい。神を拝まないのであるから、宮をまつるにもおよばない」
と諭され、
(4)「信者の家へ拝みに行くな、振り売りをするなと言っておいたのにな。神の機感(み心)にかなわないと、七堂伽藍も一夜のうちに灰になるであろう。神の一言はおろそかにはできない」
と厳しく梅子さんに仰せられた。(5)さらに儀兵衛に向かわれて、
「うちにいて、人が訪ねて来たら話していさえすればよい。それで、おかげが現れる。あなたからも、近藤さんによく話してやって欲しい」
とのお言葉があった。
▲上へ
金光教教典理解2類より
明治十二年卯の年の元旦を金光様のお広前で迎え、金光様にお年賀を申しあげ、お礼申しあげると、お書付(天地書附)を二十体お授けくださり、
「おかげを受ける者がおいおいにできてくるであろう。信ある氏子に分けてあげよ。これは、言うまでもないが、守り札ではない。心の守りである。売り物ではないから、人がどのように言って来ても、銭金で受け渡しをしてはならない」
と仰せられ、
(2)「真の信心をすれば、敵倍の徳が受けられる。人心を出すな。人心は人心だけのこと。神の守りをする者は、何事も神心でしなければならない。神心は神心だけのことがある」
とご理解くださった。
▲上へ
金光教教典理解2類より
その時のこと、声をひそめて、
「月も雲に隠れることがあろう。隠れても月は雲の上にある。此方とて生身であるから、やがては身を隠す時が来る。形がなくなっても、どこへ行くのでもない。金光大神は永世生き通しである。形のあるなしに心を迷わさず、真一心の信心を立てぬけ。美しい花を咲かせ、よい実を結ばせてくださる」
と仰せられた。(2)思いがけないお言葉に、思わず身をのり出して、「それはいつのことでございますか」とお伺いすると、
「此方はどこへも知らせないが、真ある者には神様がお知らせになろう。凧の糸を引くようにな」
と仰せられた。
▲上へ